明快なムーブメントは必要悪

この間こんなツイートをしました。

 

「多様な状況があるのは知ってるけどあえてポジションとって仮想敵つくってあたらしい意見を世の中に打ち出す」

という発信の仕方がある。

例えば、「イクメン」なんて、とってもわかりやすいポジション取りの発信だ。

ほんとのほんとは、男性が育児に参加するかどうかなんて本人と本人のパートナーの自由だ。さまざまなあり方があっていい。ふたりの話し合いの結果、「別居して、父は生活費支払いとPTA参加のみ、母は子育て家事メインで家事代行と祖父母フル活用」っていうあり方だっていいし、話し合いの結果それが幸せだねとふたりが決めたならそれでいいんだと思う。

だけど、社会を見渡すと、そんな個々人の事情に沿った建設的な話し合いが行われていることはまだ数少ない。「父だから育児しない」「母だから育児する」というレッテルによって突き動かされている。子どもが母親にくっつくと、「やっぱりお母さんがいいのねぇー」という謎のルールを持ち出される。父が出張してもなんとも言われないけど、母が出張してると「お子さんはどうしてるの?」と必ず聞かれる。母子が昼間に出歩いててもなんとも言われないけど、父子が昼間に出歩いてるとなんだか変な目で見られる。そういう、いかんともしがたい風が、社会にはある。女性が疲弊し、心を病み、子どもに遺恨を残す。

だから、その社会の見えぬ常識を打ち崩すために、「イクメン」という言葉はある。「父が育児しないってダサいよね」「家事しない父って終わってるね」というムーブメントを作る。

でも。

それでもやっぱり、ほんとのほんとは、男性が育児に参加するかどうかなんて本人と本人のパートナーの自由だ。多様なあり方があっていいし、色々でありたい。「父が育児しないってダサいよね」という言葉が、押し付けになる。多様なあり方を否定して、個人を打ちのめすこともある。

わたしは、イクメンムーブメントのようなものは、必要だと思っている。必要悪だと思っている。病的なほど母親に役割を求める社会には必要な、真逆の処方箋だ。

でも。

でも。

やっぱりなんか違和感が頭をもたげる。

わたしは、別の覚悟を決めて、「自分の頭で考えよう」を言いたい。ほんとはもっと多様だよね、ケースバイケースだよね。もっといろんなあり方許容したいよね。イクメンもいいし、イクメンだけじゃなくていいよね。

「学校行け」も「学校行けなんてダサい」も押し付けだよね。「起業しろ」も「3年修行しろ」も押し付けだよね。「結婚しないの?」も「結婚はやめとけ」も押し付けだよね。

かなしくなるくらい自分の頭で考えるのは大変だ。「色々あり」なら一体どこにいったらいいの?ってなると思う。正解なき道を指さすのは結局酷なのかもしれない。でもやっぱり、 過去の歴史を振り返っても、人々が考えなくなって仮想敵ができてから、争いが起こり戦争が始まっていったから、自分の頭で考えることを止めたくない。

これからオンラインサロンができて、クローズドコミュニティができていって、どんどん細分化していく。コミュニティによってキュレーションされた情報が信じられる。その時、コミュニティとコミュニティの間で小さな戦争や殺し合いが起きる未来だってあり得る。そういうのって悲しすぎないか?

わかりやすいほうがいいよね。考えないほうが楽だよね。きっと「〇〇しろ」って言っちゃうほうが優しいし、親切なんだと思う。だからそういうあえての言説を見ると、凄まじく賢いし、泥かぶってて偉いな…と思ってしまう。あれは、社会に必要なんだ。

でもわたしはやっぱり、「自分の頭で考えよう」って、言いたい。個々人が考えるのをやめる世界に行き着くのは怖い。思考を手放したくない。

強制も対立もなく、多様性を愛し日常を愛しすべてと共存したいから。

※この文章を書くにあたり思考の土台となったもの。

感情を自分の言葉で語れない人|Taejun @81TJ|note(ノート) https://note.mu/taejun/n/n8f1bf42b5796

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WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE. ~現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ~ (NewsPicks Book)

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